人間の性行為は、よく「特別なもの」として語られる。
愛だの絆だの本能だのと、やたら重たい言葉がつきまとうし、逆に下世話な笑い話として消費されることも多い。大事なもの扱いされるくせに、雑にも扱われる。なかなか忙しいテーマである。
ただ、動物の世界を見ていくと、人間だけが特別に妙なことをしているわけでもない。ボノボはケンカの空気を性で和らげるし、イルカはかなり自由だし、カモに至っては生殖器そのものが進化の戦場みたいなことになっている。屋久島のサルとシカの話まで入ってくると、もう「普通の性とは何か」がだんだん分からなくなってくる。
それでもなお、人間の性行為には変なところがある。
快楽だけでもない。繁殖だけでもない。恋愛だけでもない。そこに記憶、罪悪感、嫉妬、制度、世間体、物語まで乗ってくる。動物の性も十分おもしろいが、人間はそこに余計な意味を盛りすぎる生き物だ。
今回は、そんな人間の性の変さを、動物たちの具体例と比べながら見ていく。
動物の性は思ったよりずっと自由

まず前提として、動物の性行動は「子どもを作るためだけ」と思わない方がいい。
そこを単純化しすぎると、動物の世界はかなり見誤る。
たとえばボノボ。チンパンジーに近い類人猿だが、この連中は群れの空気が悪くなった時に性的な接触を使うことで有名だ。食べ物を見つけて取り合いになりそうな場面、仲間同士がギスギスした場面、何となく緊張が高まった場面。そういう時に、交尾そのものではない軽い性的接触を含めて、関係を丸く収めるような行動が見られる。
人間社会でたとえると、会議中に空気が険悪になった瞬間、全員が妙なスキンシップで和平を結ぶようなもので、普通に考えるとかなり怖い。だがボノボ社会では、それが単なる変態行動ではなく、群れの安定に役立つコミュニケーションになっている。
ここで面白いのは、人間もそこまで偉そうなことは言えない点だ。
恋人同士でも夫婦でも、言葉だけでは気まずさが解けないのに、身体の距離が縮まったことで空気が和らぐことは普通にある。人間はそれを「仲直り」「愛情確認」みたいな綺麗めの言葉で呼ぶが、外から見れば本能と関係調整がくっついているという意味では、そこまで上品に整理できる話でもない。
人間は発情期が見えにくく、そのくせ年中やる

多くの動物には、繁殖に向いた時期が比較的わかりやすく存在する。
見た目に変化が出る種もいれば、においや行動の変化でオスが反応する種もいる。もちろん例外はあるが、性行動と繁殖タイミングがかなり近い動物は多い。
ところが人間は、このへんが妙にわかりにくい。
人間の排卵は外からは見えにくいし、本人ですら正確に把握しづらいことがある。そのうえ、妊娠の可能性が高い時だけ性行為をするわけでもない。繁殖の効率だけを考えるなら、かなり変なスタイルだ。
要するに人間は
子どもを作れる時だけではなく、作れない時にも普通にやる。
しかも避妊までしてやる。
ここがまずおもしろい。
繁殖のために発達したはずの行動を、繁殖を避けながら楽しむ。
動物として見るとだいぶねじれている。
もちろん、そこには関係維持や快楽や安心感など、いろいろな意味がある。だが逆に言えば、人間の性行為は繁殖だけでは説明しきれない。むしろ繁殖以外の意味の方が、現代社会ではかなり大きい。
人間は性行為を「物語」に変えてしまう

動物も求愛はする。
鳴く、踊る、飾る、争う、贈り物を持ってくる。そこまでは人間と似ている。
ただ、人間はその先が長い。
長すぎる。
初めて手をつないだ日を覚えている。
どこでキスしたか覚えている。
その夜に流れていた店のBGMまで覚えている。
別れた後なのに、相手の香水の匂いでしばらく引きずる。
そして最悪なことに、その記憶を美化したり、逆に黒歴史化したりする。
動物の世界では、交尾は交尾として処理されることが多い。
ところが人間は、そこで終わらない。終わったあとに脳内反省会が始まる。
あれは本気だったのか。
身体だけだったのか。
自分だけが舞い上がっていたのか。
あの優しさは演技だったのか。
LINEの返信が遅いのは何なのか。
性行為そのものより、終わった後の考察時間の方が長い人すらいる。
ここまでくると本能ではなく、もはや長編ドラマである。
人間の性が特殊なのは、快楽の有無よりこの部分だ。
行為に意味をつけ、意味に名前をつけ、その名前でまた傷つく。
本当に面倒くさい。
ボノボは仲直りに使い、イルカは遊び、カモは身体で戦っている

ボノボの話は有名だが、イルカもなかなか自由である。
バンドウイルカなどでは、繁殖だけでは説明しきれない性的行動が観察されてきた。同性同士の接触もあるし、遊びや社会的関係と結びついていそうな振る舞いもある。水族館の人気者として見ると愛らしいが、行動だけ切り出すと結構クセが強い。
さらにすごいのがカモだ。
カモの一部では、オスの生殖器がらせん状に発達し、それに対してメス側も複雑な構造を進化させてきたとされる。雑に言うと、オスとメスの身体そのものが長い進化の押し合いをしている。
人間社会で「男女の駆け引き」なんて言葉があるが、カモに比べたらぬるい。
既読無視とか、誘う誘わないとか、脈あり脈なしとか、そんなフワッとした話ではなく、向こうは身体の設計図から争っている。
こういう動物たちを見ると、人間だけが特別に変態という話ではないと分かる。
動物界もかなり濃い。
ただし人間は、そこにさらに「恋愛」「道徳」「世間体」「恥」「純愛」「浮気」みたいなラベルを大量に貼る。
身体の問題だけで終わらず、社会と言葉と感情で二次加工してしまう。そこが人間独特のこじれ方だ。
屋久島のサルとシカが教えてくれる「説明しきれなさ」

動物の性行動で、特に「何だそれは」となりやすいのが、屋久島で観察されたニホンザルとシカの関係だ。
ニホンザルがシカにまたがる行動が報告され、かなり話題になった。
これを聞くと、すぐに「サルが変なことをしている」と言いたくなる。
だが実際には、そう簡単な話でもない。
群れの中での立場、発情に関わる要素、普段からサルとシカが近い距離で過ごしている環境、遊びや接触の延長。いろいろな見方が考えられていて、研究者も一発で答えを出せるわけではない。
この話が面白いのは、サルの行動そのものもそうだが、それを見た人間がどうしても意味を探したくなるところにある。
快楽なのか。支配なのか。勘違いなのか。遊びなのか。代用品なのか。
人間はすぐ物語を作りたがる。
動物を観察しているのに、気づくと自分たちの恋愛観や性の感覚を当てはめている。
つまり人間の性が特殊なのは、行為だけではない。
性を見た時に、勝手に意味を盛る認知のクセまで含めて特殊なのだ。
人間は「していないこと」にまで意味を乗せる

人間の性でもうひとつ変なのは、実際にやったかどうかだけでなく、やらなかったことまで重く扱う点だ。
まだしていない。
あの人とはしなかった。
したかったけどできなかった。
したら終わりそうで踏み込めなかった。
しないことで、逆に関係が保たれた気がした。
動物なら、行動があったかどうかがまず先に来る。
だが人間は、行動しなかったことにまで意味をつけてしまう。
「あの時しなかったのは誠実さだったのか、それとも臆病だったのか」みたいなことを、数年後まで引きずる人もいる。
もはや性行為ではなく、記憶と解釈の問題である。
本能だけで動いているなら、ここまで面倒にはならない。
人間はそこに倫理や理性を持ち込むし、逆に理性で抑えたことを後から後悔したりもする。
するかしないか。
その二択の周りに、あまりにも多くの感情がぶら下がっている。
このしつこさが、人間の性の独特さだ。
人間の性行為が特殊なのは、快楽より「意味の多さ」
動物たちを見ていくと、繁殖以外の性行動も珍しくないし、快楽や関係調整と結びついていそうな例もある。
だから「人間だけが快楽のためにやる」という説明では足りない。
人間の性が特殊なのは、意味が多すぎることだ。
繁殖のための行為なのに避妊する。
快楽のための行為なのに罪悪感を抱く。
愛情確認のための行為なのに、終わった後に不安になる。
隠したがるのに、気にして仕方ない。
恥ずかしいのに、文化としては大量に消費する。
そして最終的には、それを歌にし、映画にし、文学にし、噂話にし、人生相談にし、黒歴史にする。
動物たちも十分変だ。
だが人間は、変な行動をさらに自分の頭の中で何倍にもこじらせる。
そこがいちばん人間らしい。
あとがき
動物と比べると、人間の性行為は特別なようでいて、案外そうでもない。
快楽っぽい行動も、繁殖以外の性行動も、同性間の接触も、動物の世界にはそれなりにある。自然界は思っているよりずっと自由で、しかも雑で、たまにこちらの理解を軽く超えてくる。
ただ、それでも人間はやっぱり変だ。
性行為そのものが特殊なのではなく、その前後にくっつく感情と解釈が多すぎる。好き、寂しい、不安、支配、愛情確認、罪悪感、優越感、独占欲、後悔。行為ひとつに対して背負わせる荷物が重すぎる。
ボノボは仲直りに使い、イルカは自由に振る舞い、カモは身体で進化の戦争をしている。
それぞれ十分おもしろい。
でも人間はそこへ、さらに物語を盛る。
本能に名前をつけ、関係に意味をつけ、終わった出来事を何年も引きずる。
そう考えると、人間の性が特殊なのは、エロいからではない。
エロを、必要以上に面倒くさい出来事にしてしまうからだ。



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