江戸時代の風俗と聞いて、真っ先に思い浮かぶのはやっぱり吉原。
豪華な着物をまとった花魁。
提灯が並ぶ夜の通り。
酒に料理に芸者を交えた宴会。
いかにも「江戸の男の夜遊び」という感じだけど、当然ながら誰もがこんな遊びをできたわけではありません。
毎日働いて日銭を稼ぐ職人や奉公人が、そうそう花魁相手に豪遊できるはずもない。
そういう普通もしくはそれ以下の所得しか無い男は性欲をどう処理していたのだろう?
実は江戸の町を探してみると、女性を買える場所は吉原以外にもかなりありました。
寺社の門前に広がる岡場所。
宿場の旅籠で客を取る飯盛女。
夜道に立つ夜鷹。
川に小舟を浮かべる舟饅頭。
さらに江戸初期には、銭湯で働く湯女まで男たちの人気を集めています。
しかも場所が違えば、値段も遊び方もまるで違う。
酒を飲んで女性としっぽりしてから寝床へ入るところもあれば、路上で値段を決め、茣蓙一枚で性交して終わるような世界までありました。
今回は華やかな吉原の外へ出て、普通の江戸っ子がどこで女性を買い、いくら払い、実際にどんな流れで遊んでいたのかまでのぞいてみましょう。
まず前提、庶民が吉原へ行けなかったわけではない

最初にひとつ整理しておきたいところ。
「吉原は金持ちしか入れなかった」
というわけではありません。
吉原の中にも店や遊女の格があり、豪華な大見世から庶民向けの下層の見世までかなりの幅がありました。
だから職人や奉公人が吉原へ遊びに行くこと自体はあり得ます。
ただし、浮世絵や時代劇でおなじみの花魁を相手に、酒を飲み、料理を頼み、何度も通って馴染みになる。
そこまでやるとなれば話は別。
金も時間も必要です。
しかも新吉原は、江戸市中のど真ん中ではなく、わざわざ足を運ぶ場所。
前の記事では、公認遊郭としての吉原や花魁、そこで暮らした遊女たちについて詳しく紹介しています。

今回はそこから大門の外へ。
もっと普通の江戸っ子の財布に近い夜を見ていきます。
迷路亭愛花魁と遊ぶ金はなくても性欲まで貧乏になるわけじゃないからね。需要があれば、その財布に合った商売もちゃんと生まれてくるのよ。
吉原の外には「岡場所」 深川は一大歓楽街に


吉原最大のライバルとなったのが「岡場所(おかばしょ)」。
幕府公認の吉原以外にできた遊里を広く指す言葉です。
深川、根津、上野山下、音羽、赤坂など、人が集まる場所には次々と岡場所が成立しました。
特徴的なのが寺社の門前。
参詣客が集まる。
茶屋ができる。
料理屋ができる。
酒を飲む男も増える。
そこへ女性を相手にした商売まで集まってくる。
今の歓楽街と基本構造はそれほど変わりません。
その中でも別格だったのが深川。
運河や掘割の多い土地柄もあって、舟で料理茶屋へ向かい、酒や料理を楽しみながら女性と遊ぶという独特の文化が育ちました。
ここで間違えたくないのが
深川=吉原へ行けない貧乏人のための安風俗ではないこと
吉原より気軽な面はあっても、深川には深川なりの「粋」がありました。
辰巳芸者のように、豪華な衣装よりもさっぱりした装いや威勢のよさを売りにする女性も人気。
つまり単なる吉原の廉価版ではなく、別ジャンルの歓楽街です。
深川って今でいうとどの辺? 岡場所の名残は今も残っている
「深川」と聞いても、東京に詳しくないといまいち場所が浮かばないかもしれません。
現在でいうと、広い意味では門前仲町から清澄白河周辺に広がる江東区西部のエリア。
ただし、先ほど紹介した「深川七場所」の中心は、今の感覚なら清澄白河よりも門前仲町周辺と考えた方が分かりやすいでしょう。
特に栄えた仲町は現在の富岡一丁目付近。櫓下や裾継は現在の門前仲町二丁目、石場は牡丹・古石場周辺、新地は越中島方面にありました。
つまり今の門前仲町駅を降りて歩いている場所が、江戸時代には吉原と張り合うほど男たちが集まった巨大な歓楽街だったわけです。
さすがに当時の妓楼がそのまま残っているわけではありませんが、街を歩くと岡場所につながる地名や土地の記憶は今でも見つけられます。
富岡八幡宮は、そもそも深川の門前町と遊興文化が発展する中心になった場所。現在の深川仲町通り商店街も、江戸時代から繁華街として栄えた地域で、江東区観光協会も「江戸時代からの繁華街」と紹介しています。
門前仲町二丁目には「辰巳新道」という小さな飲み屋街もあります。
この路地自体は江戸時代からそのまま残る岡場所ではなく、昭和の面影を残す飲食街。ただ「辰巳」という名前は、江戸から見て東南=辰巳の方角にあった深川と、「辰巳芸者」を思い起こさせます。今でも小料理屋や居酒屋が密集する細い路地なので、深川の夜の街だった歴史を想像するには面白い場所です。
さらに門前仲町には「油堀川公園」があり、かつてこの付近を流れていた油堀川の名前が残っています。深川七場所のひとつ「裾継」は油堀に面した一帯にあったとされており、現在の門前仲町二丁目付近に当たります。
そして「古石場」という町名も現役。
これも七場所のひとつだった「石場」の名前です。



男がみんな高級店へ行きたいわけじゃないのよね。格式ばった店より、気楽に飲めて女の子とも距離が近い方が好きって男は昔からいたわけ。
例えるなら銀座のクラブと赤羽のスナックって感じかしら?
宿場の旅籠には「飯盛女」がいた


宿場町にも女性を買える場所がありました。
そこで働いていたのが「飯盛女(めしもりおんな)」。
名前だけ聞くと、ご飯をよそってくれる旅館のお姉さんみたい。
実際に旅籠で給仕や宿泊客の世話をする女性ではあったのですが、それだけではありません。
性的な相手をすることも仕事の一部となっていました。
江戸に近い品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿でも飯盛女が置かれ、時期によっては品川で500人、ほか三宿ではそれぞれ150人まで認められた例があります。
完全な闇営業というわけでもなかったのが面白いところ。
そして旅籠という場所は風俗との相性がものすごくいい。
部屋がある。
飯がある。
酒がある。
そのまま泊まれる。
そこに女性までいる。
旅人だけでなく、女遊び目当てで江戸市中から宿場へ来る男までいました。



「飯盛女」って名前だけ聞くとずいぶん健全なんだけどね。食欲だけじゃなく性欲まで面倒みてくれたのね。
本当に金がない男には「夜鷹」がいた


岡場所で酒を飲む余裕もない。
宿場まで遊びに行く金もない。
そんな男たちの選択肢が「夜鷹(よたか)」でした。
夜になると街頭へ出て男を誘う街娼。
現代でいう立ちんぼに近い存在です。
ただし決定的に違うのが、その後。
ホテルなんてありません。
夜鷹は茣蓙を持ち歩き、人目の少ない場所へ移動して地面に敷き、その上で客を取る例がありました。
店なし。
部屋なし。
布団なし。
冬なら寒いし、雨なら商売もしにくい。
料金については24文ほどだったとする記録が有名です。
江戸後期の蕎麦が16文ほどとされる例と比べても、とんでもなく安い価格帯。
つまり普通の食事代に少し足したくらいで、女性を買える世界まであったわけです。



「布団の上で即挿入」どころか、その布団すらないのよ。ゴザ一枚で済ませるんだから、江戸の最安値風俗は想像以上にワイルド。
川には水上風俗「舟饅頭」までいた


路上に夜鷹がいるなら、川にもいました。
「舟饅頭(ふなまんじゅう)」です。
食べ物みたいな名前ですが、小舟で売春をしていた女性たち。
水辺で客を拾う。
男を舟へ乗せる。
岸から離れる。
舟の中で済ませる。
そして戻ってくる。
江戸は水運都市。
船頭や荷役人足、船乗り、商人など、大量の男が水辺で働いていました。
だったらそこに女を売る商売が生まれるのも自然な流れ。
料金については24文、32文などの記録があり、時期によって差はあるものの、夜鷹と並ぶかなり安い価格帯だったと考えられています。
江戸初期には銭湯のお姉さん「湯女」も大人気


さらに時代を少しさかのぼると、銭湯まで男たちの遊び場になっていました。
そこで働いていたのが、
「湯女(ゆな)」。
昼間は客の背中を流すなど湯屋で働き、夕方からは遊客をもてなす女性たちです。
風呂に入る。
身体を世話してもらう。
その後は酒を飲む。
三味線などの遊興も楽しむ。
そして男女の関係へ進む。
夜鷹とは正反対。
性交だけを短時間で売るのではなく、一連の遊びの中に性が組み込まれていました。
湯女風呂はかなり人気があり、一時期には吉原が寂れるほどだったとも伝えられています。



令和の現代でも「ゆなちゃん」って名前を聞くと、「昔は湯女っていってね……」と顔をしかめるお年寄りの方がたま~にいるのよね。
あとはインターネッツの性格悪い人たちが同じような事を言ってるのを見たことがあるわ。
江戸の庶民風俗って実際どんな流れで遊んだの?


ここまで読んで、
「で、結局どういう流れでヤッてたの?」
と思った人もいるはず。
これは場所によってかなり違います。
| 種類 | 大まかな遊び方 |
|---|---|
| 岡場所・深川 | 茶屋や料理屋へ → 酒・料理・会話 → 女性と親しく過ごす → 座敷へ |
| 飯盛女 | 旅籠へ → 食事・酒 → 飯盛女が給仕 → 宿泊する部屋で男女の関係へ |
| 湯女風呂 | 入浴 → 湯女の世話 → 酒・遊興 → 男女の関係へ |
| 夜鷹 | 路上で声をかける → 値段を決める → 人目の少ない場所へ → 茣蓙を敷いて性交 |
| 舟饅頭 | 水辺で客を拾う → 小舟へ → 岸を離れる → 舟中で性交 |
こうして並べると、同じ「女を買う」でもまるで別物。
岡場所や飯盛女なら、まず酒を飲んだり話したりする時間がある。
夜鷹や舟饅頭になると、かなり直接的に性交へ進む。
価格が下がるほど、余計な接客や遊興が削ぎ落とされていく様子も見えてきます。
江戸時代にも前戯はあった? 夜鷹はほぼ即挿入?


江戸人に「前戯」という発想がなかったわけではありません。
春画や当時の性愛資料には、性交そのものだけでなく、
口吸い。
つまりキスに近い行為。
男性器を口で愛撫する吸茎。
身体を触り合う行為。
そうした性交以外の性愛も描かれています。
つまり江戸の男女だって、
服を脱ぐ。
即挿入。
終了。
だけだったわけではありません。
岡場所や飯盛女のように、酒や会話から始まる場所なら、男女が身体を寄せたり触れ合ったりしながら性交へ進むことも自然だったと考えられます。
ただし、
「飯盛女は必ず口淫してから挿入」
「岡場所には前戯○分コースがあった」
なんてことまでは言えません。
現代の風俗店のようにサービス内容が細かくメニュー化されていた証拠があるわけではないからです。
そして夜鷹は別。
低料金。
屋外。
茣蓙一枚。
寒さも人目もある。
何人も客を取らなければならない。
そんな環境なので、長々とイチャイチャするよりも、かなり短時間で性交そのものを売る商売だったと考える方が自然です。
コンドームのない庶民風俗 やっぱり基本は生だった?


現代の感覚で気になるのが避妊。
「そんな時代、やっぱり生挿入だったの?」
というところです。
江戸時代にも、男性器へかぶせる「茎袋」のようなコンドームに似た道具は知られていました。
動物由来の素材などを使ったものもあり、春画に登場することもあります。
ただし、現代のコンドームのように安価で大量生産され、庶民が一回ごとに使い捨てる日用品ではありません。
特に、
数十文で夜鷹を買う。
舟饅頭へ乗る。
そのたびに高価な避妊具を用意する。
という環境ではなかったでしょう。
もちろん江戸時代の全性交について「100%生だった」と証明できるわけではありません。
それでも庶民向け売春では、現代でいうコンドームなしの性交がかなり多かったと考えるのが自然です。
当然ながら問題になるのが妊娠と性病。
現代よりはるかに無防備かつリスクのある夜遊びでもありました。
蕎麦と比べるとより際立つ夜鷹の低価格


江戸時代のお金を現代円へそのまま換算するのはかなり難しいところ。
米で換算するか。
賃金で換算するか。
物価で比べるか。
しかも江戸時代は260年以上あります。
なので「夜鷹24文=現代の何円」と断言するより、当時の商品の値段と比べた方が分かりやすい。
| 内容 | 記録に見られる価格の例 |
| そば | 約16文 |
| 豆腐一丁 | 約24文 |
| 夜鷹 | 約24文とする記録 |
| 舟饅頭 | 約24~32文とする記録 |
| 岡場所・飯盛女 | 場所・遊び方・時期で大きく異なる |
| 吉原 | 見世や遊女の格による差が非常に大きい |
夜鷹24文。
豆腐一丁24文。
もちろん時代も史料も違うので単純比較はできません。
それでも「高級な夜遊び」からはほど遠い価格帯だったことは伝わります。
今夜の飯に小銭を使うか。
少し足して女を買うか。
そんな日常生活の延長線にまで売春が入り込んでいました。
公認は吉原なのに、なぜこんな風俗だらけだったの?


幕府は吉原を公認遊郭としました。
だったら、
「それ以外を全部潰せばいいじゃん」
と思いますよね。
実際、岡場所や私娼は何度も取り締まりを受けています。
湯女風呂にも規制が入りました。
それでもなくならない。
しかも、全部が同じ立場でもありません。
吉原は公認。
岡場所は非公認。
夜鷹や舟饅頭は私娼。
一方で飯盛女は、宿場で人数を制限しながら置くことが認められる場合がある。
合法か違法かの一本線では分けられない世界でした。
そして何より、取り締まっても性欲そのものは消えません。
吉原で遊ぶ金がない男もいる。
近所で済ませたい男もいる。
酒と女を一緒に楽しみたい男もいる。
数十文しか使えない男もいる。
その需要に合わせるように、高級な遊びから格安の路上売春まで細かく商売が分かれていった。
幕府が吉原の大門で性産業を囲おうとしても、江戸の性欲まで囲い込むことはできなかったわけです。
安く女を買えた江戸 その裏側にいた女性たち


ここまで男側の目線で、
どこで買えた。
何文だった。
前戯はあった。
ほぼ即挿入の商売もあった。
避妊具もろくに普及していなかった。
そんな江戸の夜を見てきました。
でも最後に、反対側からも見ておきたいところ。
24文で女性を買えたということは、
24文で身体を売る女性がいたということです。
夜鷹には店もない。
部屋もない。
寒い夜でも茣蓙一枚。
舟饅頭は小舟が仕事場。
飯盛女も、全員が好き好んで男を取っていたわけではなく、奉公や借金、家族の事情などさまざまな背景を抱えた女性がいました。
客から見れば、
「安い風俗」。
働く側から見れば、
「安く買われる身体」。
同じ商売でも立場を変えると景色はまるで違います。
そして、ここまで見てくると分かることがあります。
江戸の性風俗は、吉原だけではありませんでした。
寺社の門前には岡場所。
宿場には飯盛女。
夜道には夜鷹。
川には舟饅頭。
江戸初期なら湯屋には湯女。
しかも同じ「女を買う」でも、
酒を飲み、会話をして、身体を寄せながら夜を過ごす遊びもある。
その一方では、
人目の少ない場所へ移動し、茣蓙一枚で短時間の性交だけを済ませる世界まである。
今よりずっと生々しく、雑で、そして日常のすぐ近くに性風俗が存在していた時代。
飯を食う宿の二階。
仕事帰りの暗い道。
寺の門前。
銭湯。
川に浮かぶ小舟。
いつもの生活からほんの少し横道へ入った場所に、女を買える夜があった。
華やかな吉原の大門だけを見ていると分からない、これも江戸の庶民が生きていた夜の街だったのです。



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