2015年4月8日、神奈川県警が横浜市の元中学校長を逮捕したというニュースが日本中を驚かせた。
当時64歳だった男は、約26年間にわたってフィリピンに通い続け、延べ1万2000人以上の女性を買春していたと供述していた。しかも自宅からは、その膨大な記録を収めた大量のアルバムが押収されたという。
後に広く知られることになった人数は、1万2660人。
一般的な感覚なら660人だけでも途方もない数字なのに、この男の場合は下3桁の端数になってしまう。
さらに驚くのは、1万2660という数字がネット民の創作ではなく、当時の事件報道ですでに登場していたことだ。
事件後、彼はインターネット上で「レジェンド校長」と呼ばれるようになり、その記録はAV男優の経験人数と比較され、統計学の平均値と中央値を説明する例にまで使われるようになった。
一方、当時のフィリピン現地取材には、日本での事件報道からは想像しにくい関係者の証言も残っている。教育者としての経歴、買春の実態、逮捕と裁判、現地の評判、そしてネット上で独り歩きした数々の伝説。順を追って振り返ってみよう。
レジェンド校長・高島雄平とは何者なのか

高島雄平は、横浜市立中学校の校長を務めていた元教育者である。
2015年4月22日付の『週刊女性PRIME』によると、1975年に横浜市の教員となり、2011年に定年退職するまで36年間にわたって教育現場で働いていた。教諭から副校長、校長へと昇進し、定年後も再任用教員や教育関係の研究員として活動していたという。
妻と2男1女の5人家族。横浜市内の住宅街に自宅を構え、近所の住民からは物静かな人物と見られていた。学校関係者にも、特別に不審な行動を取る教師という印象はなかったらしい。
長年教育に携わり、最後は校長まで務めて定年退職した。経歴だけを見れば、ごく普通のベテラン教師である。
そんな高島の人生が大きく変わるきっかけになったのが、1988年の海外赴任だった。
当時の文部省による派遣で、フィリピンのマニラ日本人学校に赴任。中学部の理科教師として約3年間勤務することになった。そして逮捕後の取り調べで、高島はこの赴任中に買春を始めたと供述している。
当時のマニラには、外国人観光客を相手にした歓楽街が存在していた。とりわけエルミタ地区は、1970年代から日本人男性による買春ツアーの舞台としても知られていた地域だ。1990年代に入ると行政の浄化作戦によって街の姿は変わっていくが、高島が赴任した1988年は、まだ歓楽街に多くの店が並んでいた時期にあたる。
本人は逮捕後、タガログ語や英語を使うことで普段とは違う大胆さが生まれ、倫理観のたがが外れるような解放感を得ていたという趣旨の供述をしている。日本では真面目な教師として暮らしながら、海外では別の行動を取る。その生活は、日本人学校での勤務を終えた後も続いた。
帰国後の高島は、日本で教職を続けながら、夏休みや冬休み、春休みなどを利用してフィリピンへ渡航していた。『週刊女性PRIME』では、学校側へ提出した海外渡航の届け出に、マングローブ植林のボランティア活動へ参加するためと記載していたことも報じられている。
1988年から2014年までの約26年間。日本では教員としてのキャリアを積み上げ、フィリピンでは長年にわたって歓楽街へ通い続けるという二重生活が成立していた。
しかも高島は、現地での行動を単に記憶へ残していただけではない。写真を撮り、整理し、番号を付けて保存していた。その記録が、後に日本中を驚かせることになる。
1万2660人という途方もない記録!写真14万7600枚とアルバム400冊超

神奈川県警が高島の自宅で押収した写真は、約14万7600枚。アルバムは約400冊、一部報道では410冊と伝えられている。
さらに、このアルバムには相手の女性ごとに通し番号が書かれていた。2015年4月9日の読売新聞報道によれば、その最後の番号が「12660」だった。
14万7600枚という写真の枚数にも驚かされるが、約26年間にわたって撮影した写真を整理し、相手に番号まで付けて保存していたという事実も相当なものだ。
仮に14万7600枚を1万2660人で割ると、1人当たり約11.7枚になる。実際に全員を同じ枚数だけ撮影したわけではないにしても、相当な撮影量だったことがわかる。
2015年12月の裁判では、高島自身が物を集める癖について語り、思い出を残したかったという趣旨の説明をしていたこともAFP通信が報じている。
ただし、ここで区別しておきたいのが、1万2660という記録が残されていたことと、1万2660人全員との性交が客観的に証明されたことは同じではないという点だ。
本人は1万2000人を超える女性を買春したと供述していたが、記録にある人数全員について性行為の事実が個別に認定されたわけではない。実際、フィリピンの捜査官も後の取材で、写真撮影などにとどまった相手がいた可能性を指摘している。
とはいえ、少なくとも番号が12660まで存在し、それを裏付ける大量の写真やアルバムが押収されたことは、事件当時の報道で確認できる。
日本で働きながら1万2660人という数字は可能だったのか
この事件を知った人の多くが疑問に思うのは、そもそも日本で教師をしながら、これほど多くの女性と接触する時間があったのかという点だろう。
この疑問を実際に検証したのが、フィリピンを拠点に活動していたノンフィクション作家の水谷竹秀である。
水谷が2015年5月1日付『週プレNEWS』で紹介したフィリピン当局の出入国記録によれば、高島が日本人学校から帰任した後、1993年初めから2014年1月までにフィリピンへ渡航した回数は64回。日本側の報道では65回とされていた。
滞在期間は1~2週間程度が多く、最も長い滞在が37日、短い場合は4日。これらを合計すると、帰任後のフィリピン滞在日数は約850日だったという。
さらに、1988年から3年間のマニラ勤務時代について、仮に週4日程度歓楽街へ通っていたと想定すると、約576日になる。帰任後の850日と合わせれば、活動した日数は約1400日という計算だ。
そこで1万2660人を1400日で割ってみると、1日平均約9人。
もちろん、赴任中に週4日通っていたというのは検証のために置いた仮定であり、実際の行動日数が確定しているわけではない。それでも、長年の渡航記録から導かれる数字は、複数人と連日接触していた可能性を示している。
同じ取材で話を聞いたフィリピン国家捜査局(NBI)の捜査官によれば、高島に女性を紹介していた仲介者は、一日に2人を紹介した後、さらに3人がホテルへ入る姿を見たこともあったという。高島はマニラだけでなく、ゴーゴーバーが集まるアンヘレス市でも女性を紹介してもらっていたらしい。
その捜査官は、これほど大量の女性を買春した事件は自身の18年間の勤務でも前例がないとしながら、人数そのものは不可能ではないとの見方を示した。一方で、すべての相手と性交したとは限らず、撮影などだけの場合もあったのではないかと述べている。
つまり、数字の規模は通常の感覚から大きく外れているものの、出入国記録や現地関係者への聞き込みを踏まえると、まったく根拠のない作り話として片づけることもできない。
後にネットで「660人を端数にした男」と呼ばれることになる高島だが、その土台になった数字は、すでに事件発覚時点で存在していた。
2015年4月8日の逮捕から裁判まで!懲役2年・執行猶予4年の判決

高島の事件は、逮捕当日に突然発覚したわけではない。日本とフィリピンの捜査当局は、それ以前から調査を進めていた。
2015年4月21日付『週プレNEWS』の現地取材によれば、2013年末にフィリピン国家捜査局の幹部が日本を訪れた際、日本の警察から捜査協力を依頼されたという。その後、現地の歓楽街で高島の行動について聞き込みが行われ、2014年2月ごろには女性を紹介していた仲介者への事情聴取も実施されていた。
日本側でも2014年に高島の自宅が捜索され、14万枚を超える写真が押収された。そして2015年4月8日、神奈川県警は児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いで高島を逮捕した。
逮捕容疑として報じられたのは、フィリピンで少女の性的な写真を撮影した事案。逮捕時には、現地で長年買春を続けていたという本人の供述や、押収されたアルバムの存在も明らかになった。
当時の報道では、相手の年齢は14歳から70歳まで幅広く、本人はそのうち約1割が18歳未満だったと供述したとも伝えられている。
この発表は、横浜市の教育関係者にも大きな衝撃を与えた。
林文子横浜市長は、長期間にわたって問題を把握できなかったことについて謝罪。横浜市教育委員会は、高島が勤務していた学校にカウンセラーを派遣するとともに、約3000万円の退職金について返還を求める方針を示した。
高島はすでに2011年に定年退職していたが、問題とされた行為は教員としての在職中から続いていた。そのため、退職手当の返還という問題も浮上したのである。なお、最終的に退職金がどの程度返還されたのかについては、確認できる資料が見つからない。
『週刊女性PRIME』では、元教え子や学校関係者の反応も紹介されている。事件を知って驚いたという声が多く、長年子どもを指導してきた教師が海外で児童を対象にした犯罪に関わっていたという事実は、周囲の人々にとっても受け入れがたいものだった。
一方で、ネット上では早くも膨大な人数のほうに注目が集まっていた。もちろん、1万2660人という数字すべてが逮捕容疑になったわけではない。捜査で明らかになった長期間の行動と、刑事裁判で審理される具体的な犯罪事実は区別する必要がある。
2015年12月25日、横浜地方裁判所で高島に判決が言い渡された。
判決は懲役2年、執行猶予4年。検察側の求刑は懲役2年だった。
判決報道によれば、裁判で扱われたのは12~14歳の少女3人に関する撮影などの事案。大森直子裁判官は、フィリピンの少女たちが置かれた経済的な苦境につけ込み、長年教育に携わってきた人物がその立場に反する行動を取ったことを厳しく非難した。
ネットでは「1万2000人以上なのに執行猶予なのか」という疑問も見られたが、裁判で有罪とされたのは具体的に起訴・審理された犯罪事実についてである。1万2660人全員に対する犯罪が立証され、その合計について刑罰が科されたわけではない。
2015年の時点で高島は65歳。約36年間の教員生活を経て、定年退職後に児童ポルノ関連の犯罪で有罪判決を受けることになった。
ここまでが、日本での捜査と裁判の大きな流れになる。しかし、事件後にフィリピンで行われた取材では、日本国内の反応とはかなり異なる証言も集まっていた。
フィリピン現地ではどんな評判だったのか?女性仲介者が涙を流した理由

高島の逮捕直後、フィリピンへ渡って実際に彼を知る人々を取材したのが、ノンフィクション作家の水谷竹秀である。
2015年4月21日付『週プレNEWS』には、長年にわたって高島に女性を紹介していた43歳のフィリピン人女性への取材が掲載されている。
マリアという仮名で登場するこの女性は、1990年代半ばに高島と知り合い、以後、長年にわたって女性の仲介を続けていたという。
水谷が高島の写真を見せると、マリアは突然涙を流し、写真に何度もキスをした。
さらに、高島が刑務所に入るような人間とは思えないと話し、無罪になってほしいと訴えたという。
マリアによれば、高島は彼女が紹介した女性たちから悪く言われるような人物ではなく、女性の学費を援助したこともあったそうだ。
日本では児童ポルノ関連の犯罪で逮捕された元校長として大きく報道されていた人物に対し、長年関わってきた現地の女性仲介者は涙を流して帰還を望んでいた。なかなか想像しにくい光景だ。
ただし、マリア自身も高島に女性を紹介することで収入を得ていた立場だった。2015年5月の取材では、女性一人当たり1000ペソが支払われ、そこから250ペソを仲介手数料として受け取っていたと説明している。
彼女は当時、路上生活を送るほど経済的に苦しい状況にあったといい、高島は長年付き合いのあった客であると同時に、収入をもたらす重要な存在でもあった。
したがって、その好意的な証言を、そのまま現地の人々全体の評価として受け取ることはできない。それでも、マリアが取材の場で涙を見せ、高島との長い付き合いについて語ったことは、実際の現地取材に残されている。
さらに水谷は、マリアから高島を紹介されたという22歳の女性にも話を聞いている。この女性は、高島からデジタルカメラの操作を教わったことがあり、撮影を断った場合には無理強いされなかったと説明。高島に撮ってもらった私服姿の写真を自宅に飾っていたとも語っている。
この女性も、事件が解決したら再びフィリピンに戻ってきてほしいという趣旨の話をしていた。
もっとも、これらの証言は取材に応じた成人女性の個人的な経験である。高島が関わったすべての女性について同じことが言えるわけではなく、刑事裁判で問題となった少女たちの被害を否定するものでもない。
取材した水谷自身も、現地女性たちがどこまで本音を語っているのかはわからないとしている。
元教え子たちの評判も意外なものだった
現地女性の証言と同じくらい興味深いのが、高島に教わっていた元生徒たちの反応だ。
2015年4月27日付『週プレNEWS』では、マニラ日本人学校時代の教え子だった男性が、高島は理科の質問にも親身に答えてくれる教師だったと振り返っている。
当時の高島は学年主任に近い立場で、テニスクラブの指導にも熱心だったという。帰任するときには泣いた記憶があるほど、教え子にとって印象深い先生だったようだ。
タガログ語の勉強にも積極的で、フィリピン人スタッフとも普通に会話できる程度に上達していた。現地スタッフとのスポーツ交流会などにも参加し、周囲との交流も活発だったという。
一方、別の関係者は、高島が夜によく出歩いているという噂は当時からあったと証言している。ただし、それだけで買春の事実を周囲が把握していたわけではない。
日本国内でも、元教え子からの評判は必ずしも悪いものばかりではなかった。『週刊女性PRIME』では、運動部の生徒と顧問が対立した際、高島が間に入って生徒の意見を尊重する形で問題を解決したというエピソードが紹介されている。
また、修学旅行の記念写真では、当時流行していたDAIGOの「ウィッシュ」ポーズをしていたという話まで残っている。少なくとも、常に厳格で近寄りがたい校長だったわけではなさそうだ。
ただ、学校便りでは世界で過酷な労働を強いられる子どもたちについて触れ、人権や子どもの尊厳を訴えていたことも報じられている。それだけに、海外で少女を対象にした犯罪を起こしていた事実との落差は大きい。
当時の教え子にとっては親身な教師であり、現地の一部関係者にとっては長年付き合いのある得意客だった高島。日本での暮らし、フィリピンでの人間関係、そして犯罪として明らかになった行動は、同じ人物の中に存在していた。
こうした証言が事件直後からインターネット上で拡散され、巨大な買春記録に「現地では慕われていた」という話が付け加わったことで、高島の人物像は徐々に奇妙な方向へ膨らんでいった。
「660人を端数にした男」はなぜネットミームになったのか

2015年4月に高島が逮捕された直後、インターネット上では事件の内容に加えて、1万2660人という数字そのものが強烈な印象を残した。
一般的な性体験の話で数十人という数字が出れば、それだけでも多いと感じる人はいる。それが数百人を飛び越え、数千人を超え、ついには5桁に到達している。
しかも、その数字を記録していたのはAV男優でも風俗業界の関係者でもなく、横浜市の公立中学校で校長を務めていた人物だった。
こうした肩書きと数字の落差が、ネット上では強いインパクトを持つことになった。
2017年9月7日、まとめサイト『暇人速報』には、AV男優のしみけんが経験人数1万人に近づいているという話題の記事が掲載された。
本来はAV男優の話なのだが、コメント欄では高島の記録と比較する投稿が相次ぎ、しみけんよりも校長の数字を話題にする人が続出した。
その中には
「校長を固有名詞にした男」
という書き込みまで登場している。
つまり、2017年にはすでに「校長」と書くだけで高島のことを指すと伝わるほど、ネット上で存在感を持っていたわけだ。
2019年5月の掲示板まとめでは、架空の戦闘で1万2000人の敵を一人で相手にする校長という大喜利が登場。そのコメント欄には、660人を切り捨てるなという趣旨のツッコミが書き込まれている。
1万2000人という数字に丸めた瞬間、660人が消えてしまう。通常の感覚なら660人という数字そのものが巨大なのに、この事件では端数として扱われてしまう。
こうして「660人を端数にした男」という表現がネット上の定番ネタとして広がっていった。
さらに高島の数字は、統計学の平均値と中央値の違いを説明する例にも使われるようになった。
たとえば、校長が1万人いて、そのうち9999人の記録がゼロ、残り一人だけが1万2660という数字を持っていると仮定する。この場合、平均値は1.266になるが、中央値はゼロのままだ。
これは実際の校長を調査した統計ではなく、極端な外れ値が平均値を大きく動かすという性質を説明するためのジョークである。
2023年2月の掲示板では、校長という言葉が固有名詞になっていることを話題にしたスレッドまで立ち、「12660」「平均値」「中央値」がひとまとめに語られていた。
かつて理科を教えていた人物が、退職後にはインターネットで統計の例題として使われている。本人が想定していたとは思えない形で、教育との接点が残ってしまった。
ネットに広まった「校長の偉業」はどこまで本当なのか
高島がレジェンド校長と呼ばれるようになる過程で、事件当時の報道には存在しなかった逸話も数多く付け加えられた。
たとえば、通常の3倍の料金を女性に支払っていた、学費を援助していた、性病の薬を渡していた、高島のおかげで現地の買春相場が上がり悪質な客が減った、といった話である。
さらにネットでは、現地から減刑を求める署名が届いた、政府開発援助(ODA)に匹敵するほどの金を個人で現地へ落としていた、フィリピン側から感謝状が送られたことが逮捕のきっかけだったという逸話まで登場している。
しかし、こうした話のすべてが当時の報道によって裏付けられているわけではない。
学費援助については、2015年4月の『週プレNEWS』に女性仲介者の証言が残っている。ただし、具体的な支払額や援助した人数までは確認できない。
一方、相場の3倍という話については裏付けが見つからない。実際の現地取材では、女性一人当たり1000ペソ、うち仲介手数料が250ペソという具体的な金額が報じられているが、通常料金の3倍だったとの説明はない。
性病薬の配布、買春相場の上昇、減刑署名、ODAに匹敵する支出額などについても、確認できる当時の主要な取材資料では事実として確かめられない。
特に有名な感謝状の逸話については、実際の捜査経緯との食い違いもある。
前述の通り、日本の警察がフィリピン国家捜査局へ捜査協力を求めたのは2013年末で、翌2014年にはすでに現地での事情聴取が始まっていた。感謝状が届いたことで高島という人物が初めて発覚し、そこから逮捕につながったという筋書きは、確認できる捜査経緯と一致しない。
2018年には、こうした逸話をまとめて紹介するネット上の投稿が確認でき、2019年の掲示板でも同様のエピソードが繰り返されていた。事件の事実にさまざまな話が足され、ひとつの完成された人物伝として拡散していったのである。
現地女性の学費を援助したという証言は確かに存在する。一方で、それがフィリピン経済の改善や日本への感謝状にまで結びついたという根拠は見当たらない。
ネットミームとして語られる高島の人物像は、事件当時の報道にある事実と、その後に生まれたジョークや未確認の逸話が混ざり合ったものになっている。
高島本人のその後については、2015年12月の判決以降、現在の生活を継続的に追った信頼できる報道は確認できない。2026年10月時点でどこで何をしているのか、確かな情報は乏しい。
それでも「校長」という言葉は、事件から10年以上が過ぎた現在も、インターネットの一部では特定の人物を指す固有名詞として通用している。
最初は公立中学校の元校長による児童ポルノ関連の事件として報じられた出来事が、膨大な記録をきっかけに数字のジョークへ変化し、やがて現地の経済を支えた人物という伝説まで生み出した。
もちろん、そうしたネット上の人物像と、実際の事件や裁判で明らかになった行為は別の話だ。しかし、後から付け加えられた数々の逸話を取り除いても、押収された写真約14万7600枚、アルバム400冊超という数字は残る。
そして何より、1万2660という記録。
ネットが話を盛らなくても、660人が端数になってしまうという数字の異様さは、事件発覚当時から変わっていない。



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