アダルト雑誌の全盛期とは?コンビニに並んでいた時代の記憶

今のコンビニしか知らない世代には、少し信じにくい話かもしれない。

かつてコンビニの雑誌棚には、成人向け雑誌が普通に並んでいた。

深夜に弁当を買いに行くと、週刊誌、漫画誌、テレビ情報誌、その横や奥に、妙に存在感のあるアダルト雑誌の棚があった。ビニールで包まれた表紙、派手な見出し、少し隠すようで隠しきれていない陳列。あれは、90年代のコンビニを知っている人なら一度は見たことのある光景だ。

アダルト雑誌の全盛期を語るなら、単に「売れていた雑誌」の話だけでは足りない。そこには、ネットがまだ身近ではなく、スマホもなく、情報も欲望も紙の中に詰め込まれていた時代の空気がある。この記事では、コンビニに成人誌が並んでいた頃の記憶を、有名雑誌の名前と一緒に振り返っていく。

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アダルト雑誌の全盛期はいつだったのか

アダルト雑誌の全盛期をざっくり言うなら、1980年代後半から1990年代半ばごろがひとつの大きな山だった。

もちろん、成人向けの読み物や写真雑誌はもっと前から存在していた。昭和の大衆娯楽誌、劇画誌、実話誌、風俗情報誌など、紙のエロ文化は長い歴史を持っている。ただ、コンビニという全国規模の売り場と結びつき、一般の生活圏の中にまで入り込んだ時代となると、やはり80年代後半から90年代の存在感が大きい。

この頃のアダルト雑誌は、ただの「隠れて買う本」ではなかった。

レンタルビデオ店、テレクラ、ブルセラ、深夜番組、グラビアアイドル、AV女優、裏通りの広告文化。そうしたものが紙面の中で混ざり合い、90年代の男向けサブカルの縮図のようになっていた。

今みたいに検索すれば何でも出てくる時代ではない。情報を知るには雑誌を買うしかない。誰が人気なのか、どんな作品が出たのか、どんな店があるのか、どんな言葉が流行っているのか。アダルト雑誌は、そういう少し後ろめたい情報の入り口でもあった。

90年代のコンビニには成人誌の棚があった

90年代のコンビニの雑誌棚は、今よりずっと雑然としていた。

入口近く、または奥の壁沿いに雑誌コーナーがあり、少年漫画誌、青年漫画誌、週刊誌、スポーツ新聞、パチンコ雑誌、車雑誌、その一角に成人誌が並んでいる。店によっては下段の端、あるいは棚の一番奥。青少年向けではないことを示す表示や、ビニール包装がされていることもあった。

それでも、完全に隠されていたわけではない。

コンビニに入れば、そこに「ある」と分かる。買わない人にも、見えてしまう。そこが今の感覚だとかなり違う部分だ。

深夜の蛍光灯、レジ横の肉まんケース、コピー機、雑誌を立ち読みするサラリーマン、駐車場に停まる原付。そんな風景の中に、成人誌も普通に存在していた。今思うとかなり不思議だが、当時はそれがコンビニの一部だった。

有名雑誌の名前を見ると、当時の空気が戻ってくる

90年代のアダルト雑誌を語るうえで、まず名前が出てくるのが『デラべっぴん』だ。

英知出版の代表的な成人誌で、表紙の雰囲気、グラビアの作り、紙面全体の派手さまで含めて、いかにも当時のアダルト雑誌らしい存在だった。名前の響きからして、もう時代そのもの。少しバカっぽく、少し豪華で、妙に記憶に残る。

その周辺には、『Beppin』、『Bejean』、『ビデオボーイ』、『GOKUH』など、グラビアやAV女優、ビデオ情報を軸にした雑誌が並んでいた。レンタルビデオ店の棚と雑誌の紙面がつながっていた時代で、雑誌は単なる読み物というより、AV文化のカタログでもあった。

さらに、『アップル通信』や『オレンジ通信』のような、AVや風俗情報の色が濃い雑誌もあった。名前だけ聞くと妙にポップなのに、中身はかなり濃い。90年代のアダルト雑誌には、そういう変な明るさがあった。

一方で、『投稿写真』や『スーパー写真塾』のような投稿系、素人感、読者参加型の雰囲気を持った雑誌も強かった。今の感覚で見ると危うさや問題点も多い分野だが、当時は「素人っぽさ」や「身近さ」がひとつの売りになっていた。作られた芸能人グラビアとは違う、生々しい距離感を求める読者が多かったということだ。

そして、完全な成人誌とは少し違うが、『GORO』、『スコラ』、『週刊プレイボーイ』、『平凡パンチ』のような男性誌も、同じ地続きの文化として存在していた。芸能、グラビア、サブカル、車、音楽、スポーツ、風俗っぽい読み物。そうしたものが一冊の中にごちゃっと入っていた。

今のようにジャンルが細かく分かれていなかった。

だからこそ、雑誌棚そのものがひとつの時代の地層になっていた。

なぜ90年代のアダルト雑誌はあれほど強かったのか

理由は分かりやすい。

ネットがなかったからだ。

今ならスマホで検索すれば、画像も動画も情報も一瞬で出てくる。だが90年代は違う。家にパソコンがある人はまだ少なく、インターネットも一般的ではなかった。エロ情報を得る手段は、雑誌、ビデオ、深夜番組、口コミ、怪しい広告あたりに限られていた。

その中で雑誌は、かなり強いメディアだった。

・人気AV女優の情報が分かる
・新作ビデオの発売情報が分かる
・グラビアで雰囲気を確認できる
・風俗やテレクラ系の広告が載っている
・読者投稿や体験談で妙なリアリティがある
・裏通りの文化をのぞき見できる

つまり、アダルト雑誌は単なる写真集ではなく、欲望の情報誌だった。

しかもコンビニで買える。

ここが大きい。

専門店に入るほどの覚悟はいらない。駅前や住宅街のコンビニで、飲み物や弁当と一緒に買える。もちろん恥ずかしさはある。レジに持っていく時の妙な緊張感もある。だが、買おうと思えば日常の導線の中で買えた。

この「近さ」が、90年代のアダルト雑誌を強くしていた。

90年代前半のアダルト雑誌や男性誌の空気を語るうえで、ヘアヌード解禁の流れは外せない。

それ以前の日本の出版物では、女性のヌードを扱う場合でも、アンダーヘアは写さない、隠す、ぼかす、トリミングするという処理がかなり強く意識されていた。裸そのものよりも、そこが写るかどうかに大きな線引きがあった時代だ。

もちろん、海外写真集や美術写真、専門的な写真表現の世界では、すでにもっと踏み込んだ表現も存在していた。ただ、日本の一般流通の出版物、特に書店やコンビニの雑誌棚に近い場所では、アンダーヘアが見える写真は長く「出せないもの」「出すと問題になるもの」として扱われていた。

その空気が大きく変わったのが、1990年代初頭だった。

きっかけとしてよく語られるのが、1991年の宮沢りえ写真集『Santa Fe』だ。撮影は篠山紀信。人気絶頂の若い女優が、芸術性のある写真集としてヌードを発表したことは、芸能ニュース、出版業界、ワイドショー、週刊誌をまとめて巻き込む社会現象になった。

それまでのヌード写真集は、どこか限られた読者のものという印象も強かった。だが『Santa Fe』は、単なる成人向けの本ではなく、芸能、写真、事件性、話題性が一体になった巨大な出版物として受け止められた。ここで「ヘアが見えるヌード」が、こっそり扱われるものから、一般のニュースとして語られるものに変わっていった。

この流れは、その後のグラビアや写真集文化にも大きく影響した。

芸能人写真集、男性誌グラビア、週刊誌の袋とじ、成人誌の表紙まわり。紙のメディア全体が、どこまで見せるか、どこまで話題にできるかを競うようになっていく。今から見るとかなり露骨な競争にも見えるが、当時の出版界には「紙でしか見られないもの」を出す強さがあった。

ネットもスマホもない時代、写真集はただの画像の束ではなかった。

発売日がニュースになり、書店に平積みされ、週刊誌が取り上げ、テレビが騒ぎ、友人同士の会話にも出てくる。一冊の写真集が、ひとつの事件のように扱われた。今なら一瞬で流れていく画像も、当時は紙に印刷され、値段が付き、持ち帰られ、棚や押し入れの奥に残るものだった。

この「ヘアヌード解禁」の衝撃は、アダルト雑誌の側にも当然波及した。

それまで想像させることに力を入れていたグラビアは、より直接的な見せ方へ寄っていく。雑誌の見出しも強くなる。袋とじの煽りも派手になる。読者側も、昔よりはっきりした刺激を求めるようになる。90年代の成人誌がやたらと熱っぽく、紙面全体が前のめりに見えるのは、この時代の空気と無関係ではない。

ただし、これは単なる露出の拡大だけではない。

アンダーヘアが見えるかどうかに、あれほど社会が反応していたこと自体が、当時の日本の性表現の特殊さを物語っている。今の感覚では不思議に見えるかもしれないが、当時の男性にとってそこは、ただの体毛ではなかった。隠されてきたものが紙の上に現れる。その一点に、妙なありがたみと事件性があった。

だからこそ、あの頃の興奮を覚えている世代の男性にとっては、アンダーヘアの処理が一般女性にも浸透しつつある現代に、一抹の寂しさを感じる人も少なからずいるはずだ。

現代の女性にとっては、陰毛はただのムダ毛のひとつかもしれない。清潔感や見た目の好みとして処理するのも、ごく自然な感覚になっている。

だが、90年代の男性にとっては少し違った。あれは見えるだけで事件だった。雑誌の袋とじを破る理由になり、写真集を買う理由になり、友人同士で妙に真剣に語る理由にもなった。今の若い世代には大げさに聞こえるかもしれないが、当時の紙メディアの中では、日高昆布よりもありがたがられた存在だったのだ。

コンビニ棚は昭和と平成の境目のメディアだった

90年代のコンビニ雑誌棚を思い出すと、成人誌だけが異様だったわけではない。

ヤンキー雑誌、車雑誌、パチンコ雑誌、競馬新聞、実話誌、漫画ゴラク系の青年誌、分厚い求人誌、テレビ情報誌。そこに成人誌が混ざっていた。今よりずっと、雑誌棚が男臭かった。

そして、その男臭さは、昭和の名残でもあった。

会社帰りのサラリーマン、夜勤明けの労働者、トラック運転手、大学生、独身男性。そういう人たちが、コンビニで雑誌を買う。弁当、缶コーヒー、タバコ、スポーツ新聞、成人誌。今なら少し露骨に見える組み合わせだが、当時のコンビニにはそういう生活感があった。

アダルト雑誌は、きれいな文化ではない。

でも、当時の街の空気をかなり正直に映していた。

裏通りの看板、駅前のレンタルビデオ店、深夜のテレビ欄、雑居ビルの広告、電話ボックスに貼られたチラシ。そういうものと同じ場所にあったメディアだ。

でも、今見ると危ういものも多かった

懐かしさだけで語ると、見落とすものもある。

90年代の成人誌には、今の感覚ではかなり危うい表現も多かった。若さを強調する見せ方、盗撮風の演出、読者投稿の扱い、プライバシーへの感覚、公共空間での陳列。今なら一発で問題になるようなものも、当時は雑誌文化の中に紛れ込んでいた。

これは「昔はよかった」で済ませられる話ではない。

当時は当時の空気があり、今は今の基準がある。

社会の見方が変わったというより、見過ごされていたものが見過ごされにくくなった。特に、コンビニのように子どもも女性も高齢者も利用する場所に成人誌が置かれていたことは、今振り返るとかなり大きな違和感がある。

だから、90年代のアダルト雑誌文化は、懐かしいけれど無邪気には戻れない。

そこが面白くもあり、少し苦くもある。

2019年、コンビニから成人誌が消えた

コンビニの成人誌文化に大きな区切りがついたのは、2019年だ。

セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートといった大手コンビニが、成人向け雑誌の取り扱いを原則としてやめる方向へ動いた。理由としては、女性や子どもが利用しやすい店づくり、訪日外国人への配慮、東京五輪を見据えた店舗イメージなどが語られていた。

ただし、これは急に起きた変化ではない。

その前から、紙の雑誌そのものが弱くなっていた。

スマホが普及し、動画配信やネット情報が当たり前になり、わざわざ成人誌を買う人は減っていた。買う側の恥ずかしさも、売る側のメリットも、昔ほど釣り合わなくなっていた。

つまり、2019年の販売中止は、ひとつの終点だった

コンビニが成人誌を捨てたというより、すでに時代が成人誌を置き去りにしていた。

アダルト雑誌の全盛期とは何だったのか

アダルト雑誌の全盛期とは、単にエロ本が売れていた時代ではない。

それは、ネット以前の欲望が紙に集まっていた時代だ。

情報が少ないからこそ、一冊の雑誌に価値があった。表紙の見出し、巻頭グラビア、袋とじ、読者投稿、広告ページ。どれも今ならスマホの中で一瞬で流れていくものだが、当時はそれを紙で買い、家に持ち帰り、隠し場所に困るところまで含めて文化だった。

有名誌の名前を並べるだけでも、その空気は少し戻ってくる。

・『デラべっぴん』
・『Beppin』
・『Bejean』
・『ビデオボーイ』
・『GOKUH』
・『アップル通信』
・『オレンジ通信』
・『投稿写真』
・『スーパー写真塾』
・『スコラ』
・『GORO』
・『週刊プレイボーイ』

どれも今のネット文化とは違う、紙の時代の名前だ。

少し下品で、少し雑で、でも妙に熱があった。

90年代のコンビニに並んでいた成人誌は、たしかに時代の片隅にあった。だが、その片隅は意外と大きかった。コンビニの雑誌棚という、誰でも通る場所に置かれていたからこそ、多くの人の記憶に残っている。

あとがき

今、コンビニの雑誌棚を見ても、あの頃の気配はほとんどない。そもそも雑誌コーナー自体が小さくなり、漫画誌も週刊誌も昔ほどの存在感はなくなった。成人誌だけが消えたのではなく、紙の雑誌が持っていた妙な熱気ごと薄くなっている。

90年代のアダルト雑誌を懐かしむことは、単に昔のエロ本をありがたがることとは少し違う。あれは、ネットに吸い込まれる前の欲望の置き場所だった。コンビニの蛍光灯の下に、なぜか堂々と並んでいた紙の束。買う人も、見ないふりをする人も、なんとなく存在を知っていた。

もう戻ってこないし、戻ってくる必要もない。

ただ、あの時代のコンビニを知っている人なら、雑誌棚の端にあったビニール包装の本を思い出すだけで、少しだけ90年代の夜の匂いが戻ってくる。

日本昭和エロ大全 (タツミムック)

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