日本の街を歩いていると、中華料理屋はかなり多い。
駅前にもあるし、商店街にもあるし、住宅街の端っこにもある。昔ながらの町中華から、ガチ中華、台湾料理、火鍋、蘭州ラーメンまで、形を変えながらかなり広がっている。
一方で、インド料理屋も多い。
ただし、日本で「インド料理屋」と呼ばれている店の中には、実際にはネパール系、パキスタン系、バングラデシュ系の人たちが運営している店も多い。ナンとカレーとタンドリーチキンのセットを出す店が、地方都市の国道沿いや小さな駅前にまである。
ここまでは、なんとなく誰でも知っている風景だと思う。
でも、ふと夜の街に目を向けると、少し変なことに気づく。
中国系のマッサージ店やエステ店、あるいはそれに近い雰囲気の店は、わりと色々な街で見かける。もちろん全部が怪しい店という話ではない。健全なリラクゼーション店もあるし、普通の整体やマッサージ店もある。
ただ、日本の街には「中国系」「台湾系」「タイ系」「フィリピン系」など、夜の店やマッサージ文化と結びついたイメージがある程度存在している。
ところが、インド系、ネパール系、パキスタン系、バングラデシュ系の人たちは日本に一定数いるのに、同じような形で夜の街に目立つことはほとんどない。
カレー屋は山ほどあるのに、南アジア系の夜の店はほぼ見かけない。
同じ外国人コミュニティでも、日本の街に出てくる商売の形がここまで違うのはなぜなのか。
そこを見ていくと、単なる下世話な疑問に見えて、実は少し社会の構造が見えてくる。
人口が多い国の人が、そのまま同じ商売をするわけではない
まず大前提として、世界人口の多さと、日本国内で目立つ商売は直結しない。
中国もインドも人口大国だ。だから単純に考えれば、日本でも中国系ビジネスとインド系ビジネスが同じくらい幅広く広がっていてもよさそうに見える。
でも実際には、そうならない。
なぜなら、日本でどんな商売が広がるかは、世界人口よりも、次のような条件で決まりやすいからだ。
- どんな在留資格で日本に来る人が多いか
- 先にどんな商売の成功例ができたか
- 同郷ネットワークがどの業種に伸びているか
- 日本人客がその商売をどう認知しているか
- 家族やコミュニティから見て、その仕事が許容されやすいか
- 法律や営業許可の面で、表に出しやすい商売か
つまり、人口が多いから色々な商売に広がる、というよりも、最初にできた「受け皿」に人が流れやすい。
日本のネパール系コミュニティで言えば、その受け皿のひとつがインド・ネパール料理店だった。
一人が店で働き、経験を積み、独立し、親族や同郷の人を呼び、また新しい店ができる。
この流れができると、その業種はどんどん太くなる。
だから南アジア系の人たちは、日本の街で「カレー屋」として見えやすくなる。逆に、夜の店として見えにくいのは、その方向にネットワークが育っていないからだ。
中国系ビジネスは枝分かれの歴史が長い
中国系の商売は、日本との距離の近さもあって、かなり昔から幅広く広がっている。
中華料理店、貿易、留学、通訳、物販、不動産、観光、マッサージ、美容、夜の店。
もちろん全部がひとつながりという意味ではない。ただ、日本で暮らす中国系の人たちの歴史が長く、人数も多く、商売の枝分かれがかなり細かくなっている。
この「枝分かれ」が重要だ。
中華料理店だけではなく、貿易もある。留学生向けの仕事もある。観光客向けの仕事もある。美容系もある。マッサージ系もある。夜の街に近い業態もある。
つまり、中国系ビジネスは、日本の都市の中で複数の入口を持っている。
それに対して、南アジア系、とくにネパール系は、かなり強く飲食店ネットワークに寄って見える。
もちろん南アジア系にもIT、人材、貿易、宗教施設、食材店、留学関連など色々な動きはある。ただ、街を歩く一般の日本人の目に入りやすい商売としては、やはりカレー屋の存在感が強い。
この違いは大きい。
中国系は「街のいろんな場所に枝が伸びている」。
ネパール系は「カレー屋という太い幹がある」。
そう考えると、夜の街での見え方が違うのも自然に見えてくる。
カレー屋は表に出しやすい商売である
飲食店は、外国人が日本で商売を広げるうえでかなり分かりやすい業態だ。
もちろん簡単ではない。開業費もかかるし、家賃も人件費も重いし、競争も激しい。最近は原材料費や人手不足も厳しい。
それでも、飲食店には強みがある。
まず、表向きに説明しやすい。
「日本で料理人として働く」
「母国の料理を出す」
「経験を積んで独立する」
これは本人にとっても、家族にとっても、同郷コミュニティにとっても、かなり受け入れやすい物語だ。
店を持てば、成功者として見られやすい。親族を呼ぶことも、仕事として説明しやすい。日本人客にも分かりやすい。
一方で、夜の店や性的な雰囲気を持つ商売は、表に出しにくい。
法律面、広告面、営業許可、在留資格、近隣トラブル、警察リスク、家族への説明、同郷コミュニティ内での評判。
全部が重い。
たとえ現地にそういう産業が存在していたとしても、日本に来た小さな移民コミュニティの中で、それを表向きの商売として広げるのはまったく別の話になる。
現地にあるかどうかと、移民先で表に出せるかどうかは違う。
ここを混同すると見誤る。
夜の店は「客側の認知」がないと成立しにくい
もうひとつ大きいのが、客側の認知だ。
日本では、ある種の外国人系ビジネスに対して、すでにジャンルとしてのイメージがある。
たとえば「タイ古式マッサージ」と聞けば、健全なリラクゼーションのイメージを持つ人も多い。実際にタイ古式は、リラクゼーション業態として日本でかなり定着している。
「フィリピンパブ」と聞けば、昭和から平成にかけての夜の街文化を思い浮かべる人もいる。
「中国エステ」「台湾マッサージ」という言葉にも、良くも悪くも日本の街で作られたイメージがある。
こういう言葉は、商売としてはかなり強い。
客が検索する。看板を見て意味が分かる。なんとなくジャンルを想像できる。良い悪いは別として、消費者側の頭の中に箱がある。
でも、「ネパール系の夜の店」や「バングラデシュ系マッサージ」と聞いて、すぐに何かを想像できる日本人はかなり少ないはずだ。
つまり、看板にしても伝わらない。
商売は、提供する側だけでは成立しない。客側が「それはこういうものだ」と認識して、探して、来店する必要がある。
中国系やタイ系やフィリピン系には、その認知の土台がある。南アジア系には、それがあまりない。
だから、仮に個人単位では存在していたとしても、街の看板として目立つほどの市場にはなりにくい。
同じ外国人でも、見え方は「国民性」より「商売の通路」で決まる
この話で一番気をつけたいのは、「中国人はこう」「インド人はこう」と国民性で決めつけないことだ。
そういう話にすると一気に雑になるし、だいたい間違う。
大事なのは、国民性ではなく通路だ。
人が日本に来る時、完全にバラバラに来るわけではない。先に来た人がいる。働き口がある。住む場所がある。紹介者がいる。お金の借り方がある。手続きの知識がある。
そういう通路があるところに、次の人が来る。
その通路が飲食店につながっていれば、飲食店が増える。工場につながっていれば、工場労働が増える。留学につながっていれば、学校周辺にコミュニティができる。夜の街につながっていれば、夜の店が増える。
だから、街に出ている看板は「その国の人が何を好むか」ではなく、「日本に来るための通路がどこにつながっていたか」を映している。
ここが面白い。
カレー屋が多いのは、南アジア系の人が全員カレー屋をやりたいからではない。
そこに仕事があり、紹介があり、独立の道があり、成功例があり、同郷ネットワークがあったからだ。
同じように、中国系のマッサージ店や夜の店が目につくのも、中国系の人がみんなそういう仕事をしているからではない。
あくまで、そういう業態に接続するルートが一部で育ったから、街の中で見えやすくなっているだけだ。
小さな移民コミュニティほど、評判リスクは重くなる
南アジア系の夜の店が表に出にくい理由として、コミュニティの距離感も大きいと思う。
日本に住む同郷コミュニティは、思っている以上に狭い。
同じ国、同じ地域、同じ宗教、同じ言語、同じ店、同じ学校、同じ紹介者。
人間関係が近いと、良い情報も悪い情報も早く回る。
飲食店で働いているなら、まだ説明しやすい。店を出したなら、むしろ立派に見える。家族にも言いやすい。
でも、夜の店に近い仕事になると、本人だけでなく、家族や親族、同郷者との関係まで気にしなければならない。
日本人から見れば「知らない街の知らない店」でも、本人のコミュニティ内ではそうはいかない。
これが、比較的大きくて多層化したコミュニティと、まだ狭く結びつきが濃いコミュニティの違いだと思う。
母数が大きく、長い時間をかけて枝分かれしたコミュニティでは、いろいろな業種が生まれやすい。
一方で、比較的新しく、特定の業種に強く結びついたコミュニティでは、表に出る商売が限られやすい。
日本人客が求める「異国感」にも偏りがある
もう少し身もふたもないことを言うと、日本人客が消費したい「異国感」にも偏りがある。
飲食の世界では、南アジア系の異国感はかなり受け入れられている。
スパイス、ナン、タンドール、ラッシー、ビリヤニ。
これらは日本人にとって、非日常だけど怖くない。むしろ楽しい。家族でも行けるし、ランチでも行ける。街の中にあっても違和感がない。
ところが、夜の街における異国感は別物だ。
そこでは、客側の欲望や偏見やイメージがかなり強く働く。店側も、そのイメージに合わせて看板や言葉を作る。
中国、台湾、タイ、フィリピン、韓国。
これらは日本の夜の街の中で、すでにある程度の物語を持っている。
一方で、インド、ネパール、パキスタン、バングラデシュは、夜の街の物語としてはあまり消費されてこなかった。
それは「魅力がない」という話ではない。単に、日本の都市文化の中でそういう回路ができなかった、ということだ。
同じ異国でも、昼の胃袋に入る異国と、夜の欲望に入る異国は違う。
この差はかなり生々しい。
だから「ない」のではなく「見える形になっていない」
ここまで考えると、南アジア系の夜の店が「ない」というより、「日本の街で見える形になっていない」と考えた方が自然だ。
個人単位、地下的なつながり、外国人コミュニティ内、出張型、単発的なものまで含めれば、何かしら存在する可能性はある。
ただ、それが日本人客向けに看板化され、駅前に店を構え、検索され、地域ジャンルとして定着するところまでは行っていない。
逆にカレー屋は、その見える形ができている。
店名があり、看板があり、ランチメニューがあり、クチコミがあり、常連がいる。駅前にあっても不自然ではない。家族連れも入れる。職場の昼休みにも使える。
この差は大きい。
同じ外国人コミュニティでも、日本社会に見える形はまったく違う。
中国系は、中華料理店としても、マッサージ店としても、貿易商としても、留学生としても見える。
ネパール系は、カレー屋として非常に強く見える。
フィリピン系は、介護や家庭、夜の街の歴史と結びついて見える。
ベトナム系は、技能実習、留学、食品店、若い労働者コミュニティとして見える。
つまり、国ごとに人間の性質が違うのではなく、日本社会がそれぞれをどの窓から見ているかが違う。
街の看板は、移民史の化石みたいなもの
街にある看板は、単なる商売の案内ではない。
よく見ると、その街にどんな人が来て、どんな仕事をして、どんな客がいて、どんな言葉が通じて、どんな欲望があったのかを残している。
中華料理屋の看板。
インド・ネパール料理の看板。
タイ古式マッサージの看板。
フィリピンパブの看板。
ベトナム食材店の看板。
それぞれが、移民史の小さな化石みたいなものだ。
別に大げさな博物館へ行かなくても、駅前の雑居ビルや商店街を歩けば、日本に来た人たちの歴史が見える。
ただし、その見え方はかなり偏っている。
ある人たちは料理として見える。ある人たちは労働者として見える。ある人たちは夜の店として見える。ある人たちはコンビニや工場の裏側にいて、客からは見えにくい。
ここに、街歩きの面白さがある。
「この国の人はこういう人たちだ」と見るのではなく、「なぜ日本の街では、この形で見えるようになったのか」と考える。
それだけで、ただの看板が少し違って見えてくる。
まとめ
カレー屋は多いのに、なぜ南アジア系の夜の店は見かけないのか。
この疑問は、ふざけた話に見えて、意外と深い。
答えはおそらく、国民性ではない。人口の多さでもない。
日本に来るルート、先にできた仕事の受け皿、同郷ネットワーク、客側の認知、コミュニティ内の評判、表に出しやすい商売かどうか。
そういう条件が重なって、街に見える商売の形が決まっている。
中国系ビジネスは、日本の都市の中で長い時間をかけて枝分かれした。飲食、貿易、美容、マッサージ、夜の街まで、複数の入口を持つようになった。
一方で、南アジア系、とくにネパール系は、インド・ネパール料理店という太い受け皿ができた。だから日本人の目には、夜の店ではなくカレー屋として強く見える。
この差は、単に「ある」「ない」の話ではない。
日本という国が、外国人の商売をどの形で受け入れ、どの形で消費し、どの形で街の風景にしてきたのかという話でもある。
駅前のカレー屋も、雑居ビルのマッサージ店も、商店街の中華料理屋も、ただの店に見えて、実はそれぞれ違う通路から日本にたどり着いた商売なのだ。
そう考えると、街の看板は少しだけ怖くて、少しだけ面白い。
昼にナンをちぎりながら、夜の雑居ビルの看板を思い出す必要はない。
でも一度気づいてしまうと、次に駅前を歩く時、あの妙な偏りが少しだけ違って見えるはずだ。


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